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独りで1人の小舟に乗って、曲がった川で、行方不明に流れて。
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悲しい恋の物語
プッチーニの『ラ・ボエーム』は1830年頃のパリを舞台にしたオペラ。
アパルトマンの屋根裏部屋で明日の芸術家を夢見て暮らす若者たち。
こういった、ところ定めぬ生活を送る人たちをボヘミアン、
すなわち、”ラ・ボエーム”と呼ぶ。その当時の若者たちの青春群像と恋。
そして貧しいお針子だったミミとの悲しい別れを描いたもの。
原作はアンリ・ミュルジェの『ボヘミアンたちの生活情景』。
『ラ・ボエーム』といえば、
シャルル・アズナブールが1965年にヒットさせた曲。
この歌も青春時代の画家を目ざしていたボクと彼女との恋と別れを歌うもの。
シャンソンのスタンダードナンバーとなっている。
この「ラ・ボエーム」という言葉、意外なところに記述を見る。
それは、かの『資本論』を書いたマルクスの著書にこのラ・ボエームが出てくる。
「ラ・ボエーム」と呼ぶ層は、芸術家を目指す者に限らず、
大きなヤマを当てるために野心ギラギラで徘徊したり
秘密組織を作ったりする人物もラ・ボエームと呼ぶ。
このラ・ボエームたちが、大きく世の中を変えていく礎となることを
マルクスは予言し、実際、その後、左翼運動の担い手になった人たちは、
まさに、このラ・ボエームたちだった。
後にナポレオン三世と呼ばれたルイ・ナポレオンも、
ちょうど、プッチーニのオペラの舞台となった1830年頃には、
まさに、”ラ・ボエーム”だった。
彼は、恋の中で悲劇的に死んで行く人物ではなく、
出生を粉飾したり、秘密裏に画策してクーデターを起こしたりと、
なかなかの野心家で策謀家だったようだ。何も持たなかったボヘミアンが、
わずかの間に皇帝の位へと上り詰めた人物とも言える。
彼がパリの街を改革し、近代的な街に変貌させた功労者とされるが、
細い袋小路などが街にあると、ラ・ボエームたちがバリケードを築いたりする。
また、反逆アジトを作る。
それをさせないために広い道路を造った、というのが正解のようだ。
ラ・ボエームの行動を熟知している人物だからこそできたとも言える。
だけども、こんな、野心ギラギラで這い上がったラ・ボエームより、
叶わぬ人生で、"悲しい恋の物語"を語るラ・ボエームの方を愛したい気がする...
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